AIが「忘れた記憶」を補完するサービス ― 捏造と懐かしさの境界線
- news writer
- 17 時間前
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2025年に登場したあるAIサービスが、SNSで大きな話題を呼んだ。それは「失われた思い出を取り戻せる」と宣伝されたツールで、幼少期のアルバムや古い日記、断片的な写真を入力すると、AIが不足している部分を推測で補完し、まるで本当に体験したかのような映像や文章を生成してくれるというものだった。
利用者の中には「子どもの頃の誕生日をAIに再現してもらった」と感涙する人も多く、生成された写真や動画をSNSに投稿する流れが広がった。「忘れていた懐かしさを思い出せた」と語るユーザーもおり、感情的な共鳴を呼ぶ効果は絶大だった。しかし一方で、「これは本当に自分の記憶なのか?」と戸惑う声も多く上がった。AIが生み出すコンテンツはリアルに見えるが、事実と必ずしも一致しない。
心理学者はこの現象に強い懸念を示している。「偽の記憶を本物と信じ込むことで、アイデンティティが揺らぎかねない」との指摘だ。特に幼少期の記憶はもともと曖昧で、そこにAIが作り出した虚構を混ぜてしまえば、本人にとって「どこまでが本物か」が分からなくなる。これにより、精神的な混乱や依存を招く可能性もある。
一方で、肯定的な意見も根強い。例えば「アルバムの空白を埋めるように心が癒やされた」「亡き家族との大切な時間を取り戻せた」と語る人もいる。現実の記録が乏しい時代や状況に生きた人々にとって、AIが思い出を補完することは大きな救済になるのかもしれない。
しかし、商業的な利用や悪用のリスクも無視できない。もしサービス提供者が生成した“記憶”を広告やマーケティングに転用したり、意図的に誤情報を混入させれば、ユーザーの人生観そのものを操作することも可能になる。個人の最もプライベートな領域である「記憶」がデータとして扱われることに、倫理的な疑問を呈する声は少なくない。
このサービスは、懐かしさと捏造の境界を曖昧にし、人間が「何を本当の思い出と呼ぶのか」を根底から問い直している。私たちはAIが生成した「疑似記憶」を受け入れて心の穴を埋めるべきなのか、それとも虚構として線を引くべきなのか。記憶とテクノロジーが交差する時代に、答えはまだ見えていない。
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